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序 *
蘇芳香 *
秘色 *
浅葱 *
千草 *
黒鳶 *
白緑 *
青碧 *
紅樺
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「……今、何て。何て言いました……?」
小さな卓の向こうにある顔は常と変わらないのに、軽く顔を伏せた彼の肩越しに見る部屋は冷え冷えと肌を刺す。
おかしいな。今朝まではちょっと汗ばむくらいの蒸し暑さだったのに。
はじめはぼんやりと視線をすぐ脇の縁側へと移した。
室内の空気とは対照的に、じりじりと木の葉の焼ける音がしたのは気の所為だろうか。目が眩む。
「藤堂の屋敷へ戻ります。夏まではあと二月(ふたつき)ほどありますが、森江も居ますから大丈夫でしょう?」
藤堂の。悪寒は終に足元から脳天までを駆け抜けた。全身が凍り付く。何故、今更。思考は言葉にも出ていた。
「今だからです。貴方も今年で十四でしょう。」
その一言が総てを語っていた。藤堂宗家の権力争いの幕開け。顔すら知らぬ兄と、藤堂の座を賭ける。
「……僕も行きます」
ぱっと顔を上げた裄燈は驚きに瞠目した。予想外の返答だったのだろう。はじめは藤堂を憎んでいる。
きりりと唇を噛み締めて、困惑したままの裄燈を見据えた。
「僕も行きます。それが条件です。でなければ殺してでも止めますから」
己を突き放し続けた藤堂の家にも、己の存在すら知らずにのうのうと暮らす兄達にも、
興味などはさらさら無いが、彼を明け渡すことには耐えられない。
視線が相俟って数刻、先に根負けしたのは裄燈の方だった。
「……何方かに家内の留守を頼まなければいけませんね……」
諦めにも似た微笑。遠い目。はじめはこれが嫌いだ。
自分がそんな顔をさせてしまうのには少しばかり残念なものを感じたけれど、仕方が無い。
こうでも言わなければ裄燈は一人で藤堂家へ行くのだ。最後まで己を部外者にする為に。
それだけは駄目だ。生きていけない。太陽を失ったら、未来どころか目の前すら見えなくなってしまう。
はじめは態と意地の悪い笑みを形作った。漏れた声は自分のものとは思えない程冷たい気がした。
「兄や藤堂の者達に挨拶する良い機会です。準備があるので少し遅れますが、直ぐに追いつきますから」
立ち上がって裄燈の返事も聞かず、足早に廊下へ滑り出た。
傍に控えていた森江がおろおろとその後を追う。小さく、裄燈の溜息だけが取り残された。
ざり、と砂を踏む。初めて目にするその建物は、想像以上に眩しく、しかし思ったより随分小さかった。
「此処が『がっこう』……」
はじめは、慣れぬ単語を咀嚼しながらまた一歩、前に出た。
日も昇らぬ内に長く暮らした家を発ったのはつい先程のように思えるのに、目を焼く太陽はもう、真上に差し掛かろうとしている。
ひとつ深呼吸。この『がっこう』の何処かに、探し人のひとりが居る筈。
数えるのも億劫なほどの窓からは、似たような服を着た、はじめと同じくらいの人影が見える。皆退屈そうに同じ方を向いていた。
ふと、『気配』を感じて、斜め上の空を振り仰げば、ふたつの黒い影。
その一方が、じっとこちらを窺っている。
あいつだ
どちらともなく呟く。
はじめは、身体の奥底から、ふつふつと何かが滾るのを感じた。
少しだけ意識を向ければ、薄い砂の地面も、つまらない四角の集合体も、ぐにゃりと歪む。一瞬後、目的の人物は目と鼻の先。
「……お前は……」
真っ赤な頭をしただらしなさそうなのと、茶色い髪に蒼い目の、男ふたり。
どちらが『そう』なのか、一目で分かった。藤堂の血か、彼の持ち得る力を感じ取っただけなのか。
こいつが。こいつが。
背に括り付けていた『森江』をすらり抜き取る。一言、出番だ、と告げれば凛とした返事があった。是。
はじめの殺気に勘付いたのだろう、相手も何処に隠し持っていたのやら、抜き身の『瑠璃若丸』を手にしていた。
一方の手で、ぽかんとふたりを見ていた赤髪の男へ、退け、と合図した。
「雄姿。今日はこの場所、俺に譲れ」
「え、ちょっと、すぐるん……ヤバいんでないのこれ」
「いいから。……誰も、呼んでくれるなよ」
彼の表情から何かを察したのか、赤髪が振り返り振り返り、扉の向こうへ消えた。
ふたり、足音が遠ざかるのを待つ。ややあって、茶髪が苦々しく零した。
「……お前が、三人目、なのか」
はじめは、ほんの僅か、瞠目した。何も知らぬと思っていたこの男も、まるきり馬鹿ではないらしい。
しかし知っていたから何だというのだ。今更憐れみを向けられても、許せるものなど、はじめの中には無かった。
にこり。
凄惨な思いを込めて、とびきりの笑顔を。
「初めまして。……にいさん」
どうせとうの昔から用意されていた宴なのなら、その幕は自分がこじ開けてやる。
手中の『森江』が重く冷たく鳴った。
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