|
序 *
蘇芳香 *
秘色 *
浅葱 *
千草 *
黒鳶 *
白緑 *
青碧 *
紅樺
|
藤堂一族と言うと日本でも屈指の名門であり、
その分家たるや全国、果ては海外にまで広がり多様な業界でトップの座を欲しい侭にしている。
宗家は各界を牛耳る数十万の部下を従えていると言っても過言ではない。
そんな藤堂一族の総本山ともなると流石、
ドームが幾つか入りそうな規模のお屋敷に感嘆ものの広大な日本庭園が――と言いたい所だが、
ゆうの住む藤堂本家邸宅は、それはそれは質素なものだった。
広さこそ普通の家屋とはかけ離れているものの、華美すぎず貧相でなく。
縁側から広く臨める庭は見事な枯山水。多少地味ではあるが、伏見の甲水庵に似せて作らせており、
藤堂頭首の数多の妾が住む離れを中心に、一等から三等までの眺めをもつ。
中でも、ゆうのお気に入りは母の部屋でもあった雪見障子だ。
何より静かで、其処からは見えないが時折庭の東にある鹿威(ししおどし)がたてる小気味良い音が届く。
初夏の眺めだってオツなものである。
―― カコン
凛と遠く響く音は何時聞いても心地が良い。ゆうは、何か考え事をする時は必ずこの部屋に一人寝そべる。
しかしいつもはそれだけで落ち着ける筈が、今日は何処と無く落ち着かない。
ごろごろと畳の上を転がって暫く、結局考えもまとまらぬまま、無理矢理昼寝に移ろうとした。
うとうと、先ほどの落ち着かなさは嘘のように容易に瞼が降り始めた時。
――確か、あいつと初めて顔をあわせたのもこんな時期だったか――
ふと暫く会っていない「彼」に思いを馳せる。肉親ではなく 友人という訳でもない。
己の生まれるずっと以前から藤堂家を影より守り、ひっそりと仕えてきた人物。
長年付き合いがあるものの、未だに掴み所の無い不思議な人物。
それは予感のように頭に浮かび、笑んだ。眠気は何処かへ去っていた。
どうしてっかな……
―― カタン
突然背後で物音がして寝返ると、今当に思い浮かべていた人影が立っていた。一瞬幻覚かと思った。
言葉も無く、ただ動揺だけは悟られぬよう目を逸らさずに居ると暫くして彼が笑む。
ついと両手指先を揃え膝をつき。深々と頭を下げたのでその表情はすぐに見えなくなった。
それが、ちょっとだけ、残念だった。また鹿威が響いた。
「ご無沙汰しております。つい今し方藤堂の屋敷に到着致しました」
何時聞いてもこの声は冴え冴えとしている。
しかし耳にする度違った声に感じるのは、感覚が其の時々の自分の感情に左右されている為だろう。
憮然とした態度を装いながらも、心の内では素直に再会を喜んだ。
……おう。何処行ってたんだよ。
組んだ両腕に顎を乗せてじとりと睨む。最後に顔を合わせてから二年ほど、この人物は行方を眩ましていた。
彼の私生活を全て把握しているわけではないが、長期に亘って所在が知れなかったことは初めてではないだろうか。
「滋賀の本宅にて暫し休養をいただいておりました。お土産ありますが、食べますか」
丁寧な口調はそのままに雰囲気だけが崩れた。唐突に部屋の空気がまろぶ。
ゆうは一度目を伏せ、小さく溜息をついた。再び瞼を上げ、ゆっくりと部屋を一望する。自然と口元が緩んだ。
「ばあか。どうせ自分が食べたいモンばっか買ってきたんだろ。甘党め」
「おや、ばれましたか。でも一応貴方も食べれそうなものを選んできたんですよ」
慣れない敬語とか使ってんじゃねえよ。くすぐったい。そう言おうとして、噤んだ。
嗚呼、そういえば今年は。ふと寂しくなる。今年で終わりなのだ。
―― カコン
今、何時だっけ……
この部屋は態と光を取り入れ難い造りになっているため、昼間でも薄暗い。
其の所為か、時間の感覚が鈍くなりがちだ。
再び眠気が忍び歩いて来るのを感じて、ゆうはもそもそと裄燈の膝へ匍匐前進した。薄っぺらい腿に頭を乗せ一息吐く。
「……何ですか」
「んん、眠い」
小さく笑ったような気配。
なあ、裄燈。俺、上手く出来ると思うんだ。あんだけ反発していた家業も、家訓にも、ちゃんと従える。……だから。
視界に靄がかかってきて、あれと思う間に何も見えなくなる。眠気が襲ってきた。
そよそよと頬に当たる風は裄燈が扇いでくれているのだろうか。
ゆうにとって暗闇は心細さよりも安堵を感じるものだ。ついには思考まで遠のいていった。
―― すっかり夏ですねえ。……ゆう? 寝ちゃいましたか?
もう、幾ら待ってもあの凛とした音は聞こえてこなかった。
|
|
back
|
2007 Nishikizm. All Rights Reserved.
|