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序 *
蘇芳香 *
秘色 *
浅葱 *
千草 *
黒鳶 *
白緑 *
青碧 *
紅樺
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「彼」は常に自分たちの身を案じ、親身に接しているように振舞うが、時折恐ろしく冷たい表情を見せる。
全ての感情を殺ぎ落としたような、この世の総ての憎しみを掻き集めた様な。
そんな顔をさせる感情が向けられているのは一体誰なのだろうか。
唯ひたすらに、それが自分ではないことを願った。願いながら、祈った。
上辺だけでいいから、つくりものでもいいから、せめて自分と居る時は笑って欲しいと。
馬鹿もやったし、彼が自分に何かを望むなら何でもしてやった。
両親を亡くしてから途絶えていた家業も継いだし、藤堂の名を以って起こす行動には常に彼を付き添わせた。
彼はきっと、「藤堂」を、誰よりも、
「ゆう?どうしたんですか、ぼうっとして」
肩に手を置かれて我に返る。ゆうは立ったまま呆然としていた。
仕事中だというのに気を散じていた己に舌打ちして、俯き固く拳を握る。
裄燈の視線が睫にかかる。それが鬱陶しくてただ意識を足元へと集中させた。
床板の木目が何かの呪いの様に渦巻いている。溜息をつき、一瞬強張った体の力を抜いた。
「疲れましたか。後の事は私がしますから、休んでください」
彼女らに床の準備を整えさせて置きますから、と付け加えて、裄燈はついと奥へ消えた。
濃い闇からは鉄の匂いがした。先刻彼の手が置かれた方の肩をぎゅうと掴む。
冷たかった。己で選んだ道の何と辛い事か。詰る先も求める救いすらも無い。 だがこれで良い。
口角を吊り上げる。それは到底笑顔などと言えるようなものではなかったが、その時確かにゆうは哂っていた。
無駄に威圧感のある門をくぐり裏庭へ回る。無用心にも細く開けてあった障子を引いて気に入りの部屋に倒れ込んだ。
畳の匂いに安堵の息を吐く。
草履を脱ぎ捨て這い上がろうと顔を上げれば綺麗に敷かれた一組の。
「……用意の良いこって」
両親亡き現在、主と東神以外一切の人払いをしている所為で、藤堂の屋敷内に関する雑務は東神の家政婦二人が兼任している。
長年の付き合いで彼女等は直接の主どころか藤堂兄弟の好みや習慣に至るまでも熟知している。
意表をついて東神の屋敷を避けたつもりがお見通しだったようだ。
隅々まで手入れの行き届いた部屋が眩しい。心底藤堂を嫌っている彼女らも、裄燈の頼みは断れないのだ。
可愛いとこもあるんだよなあ。当人に告げたなら無事では済まないので黙っておくが。
顔を合わせると悪態ばかり投げかけてくる、見かけだけは少女の恋敵を思うと笑えた。恋敵。
この言い回しこそ失笑モノである。母を取り合う子供のいがみ合いのようなこの関係に恋などとご高尚な珍事は並べようが無い。
何故こんな言葉が浮かんだのだろう。
何もかもを疲労の所為にしてゆうは布団へ潜り込む。
血塗れた着物も今は気にならなかった。あれほど冷たいと思っていた肩が今は熱い。だのに不思議と汗は流れない。
疲れた。今日はもう良い。頑張った。良くやった俺。
放っておくといつまでも何故何故を繰り返す思考を無理矢理閉ざして鼻先を枕へと押し付けた。陽の匂いがした。
黒鳶の闇が柔らかく己を包んで見えない傷を癒す。
――おやすみなさい。
毎夜頬を撫でる幻聴は変わらず心地良い響きで重い瞼を夢の中へと誘う。
誰の声だったっけ。
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