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序 *
蘇芳香 *
秘色 *
浅葱 *
千草 *
黒鳶 *
白緑 *
青碧 *
紅樺
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じわりと鳥肌の立つような空気の中、僕と「それ」はいつまでも蹲っていた。
墨染めの空間
ふたつの距離は決して短くなかった筈なのに、互いの息遣いまでも生々しく耳に届く。
「それ」はいつも泣いていたし、僕は何時また僕に襲い掛かってくるか分からない
「それ」を常に警戒していたからかもしれない。
格子越しに遠くで揺れている橙の「ひ」だけが此処で眼にする光で、
あれが誰かの手によってこちらへ近づかない限り、僕は自分の肌の色すら知ることが出来ない。
事実、僕は最期の最後まで「それ」の肌や髪、目の色が自分とそっくり同じであることを知らなかった。
むしろ知りたくも無かったのだけれど。
其の頃 僕は、ただ生きていた。
真っ黒い壁に囲まれて、世界にふたつっきりで、ただ、ただ生きていた。
あの人が眩いほどのひかりを与えてくれるまで。
「ゆきさん、ゆきさん。見てください。僕がつくったのです」
裄燈が玄関の戸を開けば間も無く、小さな足音が近づいてきた。次いで森江の慌てた声。
履物を揃え脱いで待っていると、現れたのは、細い金髪に碧の眼をした少年。大事そうに箱を掲げている。
「ゆきさん、おかえりなさい。今日はごはんまだですか。一緒に食べましょう。ゆきさんのお好きな甘味もよういしたのです」
裄燈は、足元を細々と動く少年を微笑ましい気持ちで見下ろした。
一通り報告を終えて満足するのを待ち、ふわり、頭を撫でる。
ただいま、と告げると、何度目かのおかえりなさい、が返ってきた。
遅れて顔を出した森江が、坊、頼んますから手を洗うてください、と告げる。
少年の手も、それに抱えられた箱も、餡でべたべたと汚れていた。
京都と滋賀を行き来する裄燈は、奉公先である藤堂の敷地内にも屋敷を持っている。
一年の大半は京都に詰めるが、時折、休みをとって滋賀の本宅へと帰る。手土産はいつも和菓子だ。
こどもへの土産としては半端でない量を持ち帰るのだが、大抵、裄燈と森江も加わった三人で平らげてしまう。
いつだったか、少年が、そんなにお腹がすいているのですか、と尋ねると、甘いものは好きです、と笑った。
少年にとって、裄燈が初めて見せた笑顔だった。少年は、彼の照れたような笑い方が大好きになった。
「うん、美味しい。はじめは何でも上手に作れるんですねえ」
大の男がにこにことおはぎを鷲掴んで食べる様は、今思うと何とも言い難いものがある。
だが当時の少年にとって、それだけが拠り所であった。照れ臭そうに身を捩って森江を振り返る。
森江もまた、嬉しそうに目を細めて少年を見遣る。
此処は、少年の為の箱庭だった。
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